人が本当に反省するとき
- 副塾長

- 1 日前
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南無阿弥陀仏、柳宗悦著、88p一部編集
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愛は反面に憎みと怒りをもつ。
愛に叶わないものは厳しい審判にかけられ、正しいものを救い、邪なものを落とす。
慈悲は、浄不浄隔てなく、賢も愚も受け入れる。
悪や穢さえも柔らかく包む。
悲しさは共に悲しむ者があるとき、ぬくもりを覚える。
悲しむことは温めること。
悲しみをなぐさめるものはまた悲しみの情ではなかったか。
悲しみは慈しみであり、愛おしみ。
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〇解釈
愛は、愛憎という言葉も示すように
表が愛だとしたら裏に憎しみの感情の隠れている。
こんなにやってあげたのに、あなたはこれだけしかしてくれない。
こんだけのことを注いできたのに、あなたは全く何もしてくれない。
愛は見返りを求める感情が隠れている。
だから、愛してあげたのに、
自分の期待に叶わないと「なんでこんなこともできないの?」と責めてしまうこともある。
愛してくれるから私も愛し、愛してくれないなら私も愛さない、と報復的になる。
他人を慈しみ悲しむ心は
道端のホームレスにも施し
愚かな人にも「それは大変だったね」と同情する。
悲しい気持ちのとき、一緒に悲しんでくれる人がいると
二人の間にぬくもりがある。
一緒になって悲しむことは
傾聴と共感は他人を温める行為である。
悲しみを慰めてくれるのは
一緒になって悲しんでくれる
その情の暖かさではなかったか。
悲しむ、という行為は
他人を慈しむことであり、愛おしいと思う心の現れである。
私は愛が大切だと思って、それを大切にしようとしてきたけれど、違和感はありました。
そして、この本のこの文章を読んだときに、はっとさせられました。
この本の話とはずれてしまいますが
私の母も、悲しみにより私を心から反省させました。
この本は、悲しみが慈しみで、他人の悲しみに寄り添う大切さの話をしていますが、
私が悪いことをしてしまったとき、母が悲しんでいる姿を見て
両親から怒られた時よりも、両親が悲しんでいる姿を見て
「自分はとんでもないことをしてしまった」
と心の底から反省でき
悔い改めることができ
基本的な倫理観が醸成されました。





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