top of page
検索


良い先生⑨(中3国語)
30才を過ぎてからお礼を伝えに行った先生の一人です。 中学校3年生のときに学級担任で国語も先生が担当されていました。 生徒会長でバスケ部キャプテンをしており テストの成績も5教科満点を取ったり 基本的に5番内に入っていたり と自慢ではなくこれからの説明のための事実として 挙げているので 嫌な気持ちになった方はすいません。。。 そうした外形から「しっかり者」・優等生扱いをされることが多い それまでの中学生活でしたが 中学校3年生の担任の先生だけは 「どこか抜けていて心配」 と国語の授業のときもクラス単位での活動のときも 気にかけては 「はぎわらーー!!!」 と遠くから檄を飛ばしていただいたり 「萩原くん、そんなんで大丈夫かしら」 と眉毛をハの字にして諭されたり と優等生扱いしない先生でした。 私も別にしっかり者ではなく ぼーっとしたところがあり 役職負けしていたり 地頭がいいわけではなかったので 先生の指導はありがたいものでした。 所詮は中学生なので 生徒会長でもバスケ部キャプテンでも 成績が5番内でもまるっきり子どもです。 上手く説明できませんが

副塾長
13 分前


良い先生(その後)
卒業するとお世話になった先生に会うことなく月日が流れていきます。 離婚の際に、 「明日殺されているかもしれない」 という危機感を感じる経験をした際 無事、離婚できてそれなりに安全になりました。 そのとき、ちゃんとお礼を言わなきゃいけない人 会える時に会っとかないといけない人 がいることをまざまざと感じました。 そこから、ネットを駆使して 小学校3年生の頃の担任の先生(極上の誉め言葉) 中学校3年生の頃の担任の先生(国語の先生) に会って近況を報告し 当時のお礼を伝えることができました。 ※中学校3年生の頃の担任の先生についての詳細は ブログに書けていません。 明日、UP予定です。 小学校3年生の頃の担任の先生からは その後LINEが来て 「娘から 『お父さんにとって今日はご褒美みたいな日になったね』 と言われました。 来てくれてありがとう」 というLINEをいただきました。 お礼を伝えに行けた私の方がご褒美だったのですが 先生にとってもいい日になって嬉しかったです。 私も塾で生徒と関わるようになって この子たちがどんな人生を送っているのか 気

副塾長
12 時間前


良い先生⑧(毒リンゴ先生の離任式)
中学校2年生のとき悩み相談をしたとき 「俺はおまえの人生にとっての毒リンゴだ。 おまえは俺と言う毒を食らって強くなる。 強くなれ、萩原。」 という予想外の言葉をくれた先生ですが、 中学3年生にあがるタイミングで 別の学校に転勤になってしまいました。 離任式の際 私は生徒会長だったので 異動や退職される先生方一人ひとりに 体育館の壇上で言葉を贈る役目を仰せつかり 生徒会顧問の先生に文章を提出し修正する作業に取り掛かりました。 「あれ、萩原くん。 〇〇先生(毒リンゴ先生、担任かつ部顧問)を最後にしなくていいの?」 「え、年功序列じゃなくていいんですか?」 「萩原くんならいいよ」 とすごいにこやかな顔で言われました。 離任式当日 離任される先生方が壇上に年功序列で一列に並び 私は各々の先生の前に移動して 原稿を見ながら先生に言葉を贈っていきました。 毒リンゴ先生の前で止まるかと誰もが思っていたところで その先生を飛ばして次の先生の前に立ったので 毒リンゴ先生は驚いて 体育館には(飛ばすんかい)と笑い声が起きました。 一番年配の先生まで終わったところで

副塾長
2 日前
bottom of page

