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良い先生⑦(教えるのが上手?なのか?)
先日、小学生の生徒がやり直しの ×のついた問題の沢山あるプリントを 4枚持ってきました。 文字だけだと分かりづらいので 絵や図やイメージを書いて説明していると 「先生って昔から教えるのが上手だったんですか?」 と聞かれました。 嬉しい質問でしたが、昔からっていつなのか よく分からないので固まっていると 「学校の先生は、間違えると、 『またぁ』とか『えー』とか嫌な反応をして こっちもイラつくんですよ。 そりゃ間違える方が悪いのは分かってるけど嫌です」 という話を聞いて (なるほど) と思いました。 恐らく教えるのが上手うんぬんより 『またぁ』や『えー』など 子どもの自尊心を傷つける反応をしないことが この生徒にとっての「よい先生」のようです。 そして、それは大事な要素なんだな と改めて感じました。 手前味噌みたいな文章になってしまいましたが 嬉しくもあったので。

副塾長
10月22日


良い先生⑥(塾長の考える良い先生)
良い先生、と一口に言っても 人によって良い先生の解釈は違い また、小中高の各段階によっても変わってきます。 なので、小中高のどの段階における「良い先生」なのかを 示さずに書いていたので 書き物としてあまりよくないです。 さて、そんなことはさておき 塾長は「良い先生」は 「子供と一緒に遊んでくれる校長先生」と言っていました。 真っ先に小学校編が出てくるのも面白いです。 部屋に閉じこもって事務仕事をするより 子ども達と校庭で一緒に遊んだり 教室に顔を出して 子どもたちとコミュニケーションを取ったりする校長先生がいる学校は たしかに雰囲気がいいに違いありません。 それが実現しやすいように 文科省や市教育委員会は先生が現場に集中できるよう 事務仕事を減らす方向で仕事改革を進めてほしいです。 AIや時代に振り回されず もっと、人とのつながりや他人を思いやる心 ただ体を動かす喜びや 大人が一緒に遊んでくれることなど 昔から変わらずずっと大切なことを 一番に大切にしていきたいです。

副塾長
10月21日


良い先生⑤(極上の誉め言葉)
良い先生、と聞いて思い出すのは 私が小学3年生のときの担任の先生です。 理科の授業中に 「昔クジラは地上を足で歩いていて、その名残がまだある」 ということを喜々として話してくれて (そんなことがあるのか!) と好奇心が爆発しました。 家に帰って母にクジラの話を満面の笑みでしたそうです。 そんな先生から父にメールがきて 「こんな神様みたいな子はどうやったら育つんですか」 と来たらしいですが 私は外面がよかっただけで その外面での学校の生活態度も 良心に基づいた純真なやさしさではなかったです。 それでも、大好きな先生から そんな言葉をもらえたことは嬉しく 実際はむしろ計算高く妹にはやさしくなく 疲れた母の手伝いを率先してすることのない 穢れた子どもではあったのですが (先生が信じてくれた自分でありたい) という想いが 腐りそうになったとき 捨て鉢になりそうになったとき 魔が差しそうになった時 悪いことをしてしまったとき あまりにも大きな支えになりました。 その3年生の2学期だけ あゆみの右側にある生活態度の項目で 全て二重丸をもらい 祖父に大層褒めら

副塾長
10月20日
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