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高校3年生でも幼かった(内省)

  • 執筆者の写真: 副塾長
    副塾長
  • 15 時間前
  • 読了時間: 2分

卒業式で泣く意味が分からなかった。


それは薄情な行為だとさえ思えたのは、単純な物理的な距離の隔たりがもたらす精神的な隔絶を知らなかった僕の幼さによる。

亡くなるわけではないのだから、一生会えなくなるわけではない。

会いたかったらまた会えるし、手紙で定期的に連絡を取り合うことだってできる。

泣くということは「卒業したら僕たちの繋がりは、はい、おしまい」という薄情の表明。

経験したことのない未来しの見通しの甘さと、未来の自分への自己評価の高さは幼さの裏返し。

だが、それに気づくのは、離婚するときに死にかけて、自分の人生がいともあっけなく、しょうもないことで終わる可能性を身に沁みて感じてからだった。


ずっと誰よりも子どもだったのは僕だった。


愚かなタカをくくっていた僕は、友だちとの近況報告は途切れ途切れになり、絶え、友人が元友人に変わっていってしまった。

人が故人になるように、友人が元友人になると、もはや一生会うことがなくなることのほうが多い。


そうだとしたら、死んでしまったのと変わらない。


卒業が「単なる別れ」ではなく「今生の別れ」である、と気づけていたら。

3年間続いていた友情と、ありふれた毎日が次の日からなくなってしまう、と気づけていたら。


そんな聡さが僕にあれば、祖母の葬式のときのように、涙していただろう。

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