謙虚では足りないのでは?
- 副塾長

- 7月19日
- 読了時間: 1分
走っているときは身体の使い方や
身体の声に意識を集中していることが
大半なのですが
不意にふっと考え事が湧きあがることがあります。
私の名前には「謙」の字が入っているので
謙虚であることについて折に触れて考えることが多いのですが
元野球選手の廣岡達朗さん(92才)が
「野球ができることが当たり前ではなかったから
私たちのときは野球ができることでもありがたいと思っていた」
「プロ野球選手になってから、ファーストの川上哲治さんにいびられたけど
おかげで鍛えてもらえたから感謝している」
とおっしゃっていたことが頭に残っていたのか
「謙虚、謙遜はまだ奥底には至っていないのでは?」
「突き詰めれば感謝の心がないと本当ではないのでは?」
と思いいたりました。
結局、謙虚謙遜は自分に心が向いていますが
感謝であれば周りに心が向いているな、と。
自らが驕(おご)り高ぶらないのではなく
周りの人や環境あってこその今であり自分なんだ
と思うことこそが大切なような気がしました。
何故かそう思うと
走っていても漲(みなぎ)っているものを感じ
今、走ることができてるこの状況も
本当はとてつもなく有難いことなんだ
と微かに感じることができました。





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