モノに込められた想い
- 副塾長

- 4月19日
- 読了時間: 2分
【仁義礼智忠信孝悌】
仁を広める形。 親への孝、兄や年長者への悌、君主への忠、 社会には礼、これが道義。 作法、礼節。 礼を学ぶ事が、学。
妹が子どものためにトミカのミニカーを探していました。
山岳救助車を友達が持っていて
それを持って帰ろうとするほど
欲しがっていたようだったので
後日買いに行ったそうです。
ただ、ハンズマンと西松屋を探せども、ない。
忙しい母親業の傍ら(仕事もしています)
一つのちっちゃなミニカーを探す。
やっとのこと、トイザらスで見つけて喜びの連絡が来ました。
この話を聞いて思い出した思い出が一つ。
小学6年生のときにスラムダンクの影響でミニバスをはじめ
家でも練習するためにゴールが欲しい、と親にお願いをしていました。
ある日、ミニバスの練習に行くと、お母さま方から
「はぎちゃん、新聞に載っちょったよ!」
と声をかけられる。
なんのことかと思えば
新聞で「バスケットゴールください」と広告を載せる仕組みがあるようで
それで両親が依頼をしていたとのことでした。
それで非自立式のバスケットゴールが届き
家の階段に設置し
ダムダムと騒音の響く日々が始まりました。
(バスケットボールの音って大きいですよね、、、)
私は非常に嬉しかった思い出として記憶していたのですが、
大人になってからその話をすると
父親は違ったことを思っていて
「新品を買ってやれなくてずっと申し訳なく思っていた」
と言っていました。
この話をしなかったら
お互いの気持ちを知らぬまま過ごしていました。
親のしてくれたこと、というのは
親の思いがどうであれ
子どもは基本的に良い方に解釈をして
いい思い出になっているものなのかもしれません。
親の想いに気づけたとき、
それが、「ひとつ大人になる」
ということなのかもしれません。
まだ甥っ子は幼児で小さいので
一生懸命ミニカーを探して回った母親の姿は知らないと思うので
小学生にあがったとき
中学生になったとき
高校生になったとき
と折に触れて、この陰ながらの母の背中を伝えていこう、と思いました。





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