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誰でも幼かった

  • 執筆者の写真: 副塾長
    副塾長
  • 9月10日
  • 読了時間: 2分

子どもと接していると


「こうした方がいいのにな」

「なんでそんなことするんだろう」


と心の中でやきもきすることがありますが

後から、やきもきしていた自分に呆れます。


「自分も子どものときそうだったじゃないか」


と。そうやって失敗したり後悔したりするからこそ

それが今の糧になって

昔よりはちょっとは上手くできたり

言わないでいいことを言わないでいれたり

他人に配慮できたりしているのに。


もちろん、失敗や後悔なく

そうできる人もいますが

恐らくたいていの人はそんなに矩(のり)を超えずには生きられないです。

(おそらくそんな人は聖人です)


「七〇にして矩を踰えず(のりをこえず)」とは

『論語』にある孔子の言葉で

「自分の心の欲するままに振る舞っても、

道徳的な規範や社会的なルールから外れることはない」

という意味で

70歳にして、心と社会のルールが調和した自由な境地に達したことを表し、

矩(のり)が基準や規範を意味することから、

物事の基準を逸脱しないことを示しているそうです。


70才までそんな風なので

私も大小の失敗を重ねています。


「それでは教育とは?」


という命題は一生考え続けながら

その時々のベストだと思ったことを

時には一瞬で

時には時間をかけて熟考して

成長の機会を損なわないよう

接していかなければならないです。


こんなに難しく、だからこそやりがいのあることは

なかなかないかもしれません。


「それでは教育とは?」


今のところは、

「誰でも失敗するし、間違いもするから、そこから学びとることを教えること」

ではないかとおぼろげながら思っています。

むしろ、失敗や間違いこそ成長の機会だと前向きに捉える心を養えるよう

大人の私は子どもの失敗や間違いに対して

ある程度のほほんとしていた方がいいかもしれません。

(※失敗や間違いの程度や種類によりますが、、、)


さあ、この考えはちゃんと成長していけるのか。

みものです。

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