幼かったエピソード④(現在進行形)
- 副塾長

- 9月14日
- 読了時間: 2分
小学6年生の秋頃にスラムダンクの影響で
ミニバスを始めました。
そこから中学時代もバスケ部に入り
バスケ部キャプテンになるのですが
中学2年時に右手中指を剥離骨折するまでは
将来の夢はNBA選手になることでした。
記憶は曖昧ですが
「将来の夢はNBA選手になること」
と100%は思っていなかったような気がします。
どこか、夢は大きい方がいい、と思っていて
それで自分のアイデンティティを確立しようとしたり
自分を大きくみせようとしていたような気がします。
なので、部活のない休日に朝5時に起きて
生目の杜のスタジアムについていたバスケットゴールで
お昼ご飯の時間までバスケをしていたりしましたが
勉強でも誰かに負けたくなかったのと
誰かに理解できるのに自分には理解できないのは嫌だったので
勉強もそれなりにしていました。
高校生になっても
「剥離骨折していなければもっといいセンいけたのではないか」
とうっすら思っているようなお花畑の脳みそでした。
剥離骨折してもなお、試合で44得点したこともあったので
チームでは負けても個人で負けた感覚はなかったのも要因かもしれませんが
その感覚は自分を客観視できていなかった証拠です。
社会人になってやっと
自分の体幹の強さや運動神経
バスケIQの低さや思い切って海外に行くなどの取り組みの特異さなど
ありとあらゆるものが足りなかったと心の底から思えるようになりました。
この幼さは今でも残っていて、もはや性(さが)です。
走るようになって、トップ選手がこれくらいの速さで走れていて
ただ走るという行為で
100m走のような極限の世界ではないのだから
長距離ならもっと高いレベルで走れるはずだ
と思いながら
その理想と現実のギャップに打ちのめされることが多くあります。
理想と現実のギャップに何度も打ちのめされているのに
「僕はもっと走れるはずなのに」
と思ってしまっています。
超長距離の世界ではフィジカル以上にメンタルが大事になってくので
「心が試されている」
となると、自分に負けたくはないからでしょうか。
自分との約束としては
「ちゃんと仕事をしていれば
尊大な自己評価を持っていても
それを発露しなければ許す」
ということにしています。





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