大学二次試験対策(国語:小説・純文学)
- 副塾長

- 2月22日
- 読了時間: 4分
執筆者:副塾長
いよいよ2月25日の大学二次試験が近づいてきました。
塾生から二次の国語の小説(文学作品)がよく分からない、と質問を受けることがあります。
文学作品とはどのようなものなのか、をメタ的に理解することが解答の助力になります。
文学作品とは
~国語の問題を解くうえでの向き合い方~
【目的】
二次試験から国語の小説で文学作品がでることがある。
二次試験の国語では小説に限らず、共通テスト的な向き合い方ではさっぱり意味も分からず、文章中の言葉をただ抜き出すだけで、自信なさげに解答を書くことになってしまう。
そこで、まず文学作品とはなんなのか、というその定義・性質を知ることで文章の理解への手助けとなる。
【文学作品の定義・性質】
文学作品について、一般的な定義・性質はない。
よって、芥川賞(文学小説)と直木賞(大衆小説)との境界も曖昧。
ただし、数々の小説家や評論家がその定義を個人的に試みているので、そこを知る。
【注意事項】
文学と大衆小説の違いは明確ではなく、書き手・読み手など個人によっても何を文学とするのかは異なるので、あくまで問題に向き合うための考え方として提示する。
よって、文学と大衆小説の優劣を説明するものではない。
【問題として解くうえでは、重要度の大きい違い】
つまり、以下のことを意識して読むと、理解しやすくなる。
■文学作品
世の中の当たり前を疑い、独自の視点から世界を捉え直して、読者の価値観を揺さぶるように書かれているので、一般常識的に読んでしまうと訳が分からなくなる。皆、心の中で薄っすら思っているけど言わないことや、奥底で感じているけど、表現(他者や自分自身に言語化すること)をしなかったことを書いていることが多い。
→一般常識、一般的な感覚の逆・裏のことを正として書いていることが非常に多い。
(抽象例)
一般:清潔にすべきだ
文学:清潔であることは不潔である
(具体例:作品を通して)
・三島由紀夫『金閣寺』
概要:登場人物が金閣寺を燃やす話
文学:完成された美しい物を破壊するときに、芸術が極まる
一般:美しいものは遺産登録などして半永久的に保存する
→三島の「美」の解釈
これからもずっとあることが保証されているものより、なくなってしまうからこそ「今あること」の価値が高まる。それは、人間の命が有限であるからこそ、ただ生命が存在するだけで美しいことと同義である。
だからこそ、金閣寺という文化遺産を燃やすと、芸術としての価値が高まり、美しいと感じる。
→一般的な「美」の解釈
若さを維持しようとしたり(老いは若さの破壊)、大切なもの、美しいものは金庫にいれたり、温度管理や湿度管理によって損傷することがないようにする。
だからこそ、若い人は「美」として取り上げられることが多いが、老人を美として取り上げるのは作家(小説・絵画)くらいしかいない。
・古井由吉『杳子』
概要:精神病を患った杳子が、青年との付き合いを通して健康を目指す話
文学:習慣や反復を悪癖として嫌悪する
「食べる」という行為に必ず必要な咀嚼さえも怠惰な反復動作として嫌悪
その習慣や反復を受け入れている異常さを「健康」と表現
※普通は、習慣や反復を受け入れられない異常さを「不健康」と認識
だからこそ、杳子は精神的に病んでいることが分かる
一般の感覚
習慣や反復のなかに安定と安心を見出す
次に何が起きるのか分からない、毎日違うことをするのは負担
※旅行に行き、「非日常(≠習慣・反復)」にリフレッシュするのは別
旅行は毎日のことではないので
【問題として解くうえでは、重要度の小さい違い】
■文学小説
・読中・読後に感情を強く変化させるもの
嫌な気持ちになったり、どうしようもない人間らしさの結晶に触れて感動したり、
場合によっては言い様のない複雑な感情になったりする。ある程度、深みに潜らない
といけないので、文章量に対して内容が重い。話の筋はないこともあり、起承転結やフリオチがなかったり、結局何が言いたかったのか分からないこともある。
■大衆小説
・エンタメ:面白く、ある程度分かりやすいことが重要
・5000人に深く響くのではなく、大衆(10万人以上か)に共感されるような、
深みに潜らせて、集中して読まないといけないものではなく、空き時間に読んだり、中断して再開して読んでもある程度理解でき、話の筋も追いやすい。起承転結やフリとオチがついている。読後に納得感もある。
※文学作品は深く響くものとは限らない





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