伝説の塾生④「遊び心の天才」
- 副塾長

- 3月26日
- 読了時間: 3分
萩塾の歴史は30年以上あるので
中には古き良きといいますか
おおらかな時代の象徴のような生徒が数人います。
(生徒、と書いていますが私にとっては先輩だったので
以下、先輩、とします)
今回は、生徒から大学時代にアルバイトに来ていた先生の話です。
今はスマホやゲームが遊びの主流ですが、
2000年前後はゲームボーイやプレイステーションもありましたが
まだまだコマ回しやメンコなどもやっていました。
秘密基地を作ったり、ベイブレードをしたり、
なんだかんだ身体を動かして、誰かと機械を通さず遊ぶことの方が多かったです。
昔、萩塾では夏に青井岳キャンプ場に中学生から高校生までを連れて
ケビンに宿泊して、昼はカレーと夜は焼肉、朝は棒ラーメンを作り、
川で遊び、飛び込み、などしていました。
その先生はアコースティックギターとブルースハープを持ってきて
ゆずの曲を歌ってくれて
それが心の底から楽しそうで
私も一緒になって歌っていたので
中学生になったら父親(塾長)に頼んでアコースティックギターを買ってもらいました。
Fが難しいので、Fのない曲から練習して
合間にFの練習をして
ちょっと引けるようになったら母親に聞いてもらって
どこにそんなに時間があったのか覚えていませんが
3か月もしたらゆずの曲を一定程度引けるようになりました。
思い返すと中学生の頃は時間の観念が薄かった。
毎日が新しい一日で
宿題などやらなくちゃいけないことはそれなりにあれど
一日が長く、ギターを弾いたり漫画を読んだり、ギザ10を並べて数えたり、
外でバスケのハンドリングの練習をしたり
と色んなことをしていたような気がします。
スキーもその先生に教わり
当時小学生の私はまったく滑れるようになることなく終わりましたが
それでも楽しかった。
私は怖がりだったので、暗闇が人一倍怖く、
夜自体を恐れ、夜トイレに行くときは姉や妹についてきてもらっていました。
スキーで泊まったケビンが夜停電した瞬間
その先生が「おかあちゃーん」と叫んで
暗闇の怖さを感じる間もなく
大笑いしたことを今でも暗闇にいると思い出します。
大学生が暗闇など怖いはずもなかったのが更に可笑しかったのか
また停電しないかな、と期待すらしていました。
生まれて初めて暗闇を怖く感じなかった経験は
遊び心のいつもある先生のくれたものでした。
夜中にヘッドライトを点けて山を走っていても
それなりに怖いですが
行きたくないほどではないのは
そんな思い出が心を照らしてくれているからかもしれません。



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